そもそも、PTAとは、誰のために生まれたのでしょうか?
(親子と先生のため?)
もちろんそうですよね。
先生と親との意思疎通が、円滑ならば・・・
先生の過労が、軽減されれば・・・
親が、学校の行事に積極的に関われば・・・
子供のためになるわけです。
間違いなく、このコンセプトからPTAはできました。それがなぜ、忌み嫌われる存在になったのでしょうか。
(親の負担が大きすぎる!)
それも大きな理由ですよね。もっと深いところの原因を探ると。
(え~なになに〜)
その原因の一つは、
行き過ぎた平等かもしれません。
(ちょっと、難しい・・・)
親子と言っても、それぞれの家庭が抱えている問題はバラバラです。
(そりゃそうだ)
共働きの家
休日が不規則な家
妻が家庭を守っている家
早朝や夜に仕事がある家
病人を抱えている家
休みなく働いている家
片親の家
土日が休日の家
・・・
どの家族も忙しく、どの家族も事情を抱えていますよね。それなのにPTAの仕事を等しく分担することは不可能です。
(だよねー)
全く違う生活スタイルの家族を、「親」と言うくくりで、一つのグループにするのは無理があります。
(でも、そうまとめちゃうのがジャパンクオリティ涙)
時間的、経済的、精神的・・・。どこかに余裕がある人だけでPTAを組んではダメでしょうか。そして、入会できない親の分も頑張ってくれたら、良いなと思います。
(現実はそうじゃないね・・・)
その通りです。「お互い様の精神」が、「ババ抜きの精神」に変わってしまっては、「余裕がある人だけで運営する」このような解答は出てきません。
その代わりに、「一律に入会すること」が、見かけ上の解答となります。
(どういうこと?)
見かけ上とは、真の解答ではないということです。
(間違った答えってことね)
その通りです。悪いことに、間違った解答を土台に、PTAが運営されると、間違った制度が量産されます。
参加ポイント制
役員持ち回り制
・・・
(熟考中)
(熟考中)
(熟考中)
(あっ、わかったぞ!「行き過ぎた平等」を土台にPTAが運営されているから、PTAは忌み嫌われるんだ!)
その通りです。
もし、子供が、見かけ上の解答を土台に人生を歩んだら、その未来はどうなってしまうでしょうか。
(熟考中)
(熟考中)
(熟考中)
(間違った解答を使って、次の問題を解いたら・・・ギャ〜!絶対間違いじゃんっ!)
その通りです。
ルールが作られた背景もわからないまま、「ルールだから」と検証せずに信じ込み、真の解答から遠ざかる組織。そして、そこに染まっていく・・・。大人には、耳の痛い話ではないでしょうか。
(あ、私じゃん汗)
#PTAをやめたのは私だ
この話題をきっかけに、ある学校の先生と川西能勢口で話してきました。組織との関わり方、組織の運営の仕方に話題が発展し、
PTAの話なのに「大人のためになる」話をした週末になりました。
会談のあとは、川西能勢口から宝塚までゆっくりジョギング。交通量が多いので注意が必要です。
#PTAをやめたのは私だ