#PTAをやめたのは私だ

 
 
そもそも、PTAとは、誰のために生まれたのでしょうか?
 
 
 
 
 先生と親との意思疎通が、円滑ならば・・・
 先生の過労が、軽減されれば・・・
 親が、学校の行事に積極的に関われば・・・
 
 
 
 
【子供のためになる】
 
 
 
 
間違いなく、このコンセプトからPTAはできました。それがなぜ、忌み嫌われる存在になったのでしょうか。その原因の一つは、
 
 
 
 
行き過ぎた平等
 
 
 
 
かもしれません。
 
 
 
 
 共働きの家
 休日が不規則な家
 妻が家庭を守っている家
 早朝や夜に仕事がある家
 病人を抱えている家
 休みなく働いている家
 片親の家
 土日が休日の家
 ・・・
 
 
 
 
どの家族も忙しく、どの家族も事情を抱えていますよね。等しく分担することは不可能です。
 
 
 
 
全く違う生活スタイルの家族を、「親」と言うくくりで、一つのグループにするのは無理があります。
 
 
 
 
時間的、経済的、精神的・・・。どこかに余裕がある人だけでPTAを組んではダメでしょうか。そして、入会できない親の分も頑張ってくれたら、良いなと思います。
 
 
 
 
しかし、お互い様の精神が、ババ抜きの精神に変わってしまっては、「余裕がある人だけで運営する」このような解答は出てきません。
 
 
 
 
その代わりに、「一律に入会すること」が、見かけ上の解答となります。
 
 
 
 
見かけ上とは、真の解答ではないということです。
 
 
 
 
悪いことに、間違った解答を土台に、PTAが運営されると、間違った制度が量産されます。
 
 
 
 
 参加ポイント制
 役員持ち回り制
 ・・・
 
「行き過ぎた平等を維持するための制度」は、子供のためになるのかな・・・
 
 
 
 
もし、子供が、見かけ上の解答を土台に人生を歩んだら、その未来はどうなってしまうでしょうか。
 
 
 
 
ルールが作られた背景もわからないまま、
「ルールだから」と、真の解答から遠ざかる組織
そこに染まっていく・・・
大人には、耳の痛い話ではないでしょうか。
 
 
 
 
#PTAをやめたのは私だ
 
 
 
 
この話題をきっかけに、ある学校の先生と川西能勢口で話してきました。組織との関わり方、組織の運営の仕方に話題が発展し、
 
 
 
 
【大人のためになる】
 
 
 
 
週末になりました。
 
 
 
 
会談のあとは、川西能勢口から宝塚までゆっくりジョギング。交通量が多いので注意が必要です。